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慈眼寺御成御殿
読み・・・じげんじおなりごてん
所在地・・・栃木県下野市小金井1丁目(旧国分寺町)
築城年・・・不明
築城者・・・不明
主な城主・・・不明
慈眼寺
慈眼寺は、1196年に上野の豪族新田義兼によって開基、新田一族の祈願所として建立されたと伝わる。
室町時代には、京都醍醐寺の直末寺院となり、室町幕府の庇護を受けて大いに栄えた。
江戸時代に入ると、1649年、3代将軍家光から御朱印20石を賜った。そして住職は毎年正月、江戸城に年始参内を許され、その際は10万石大名の待遇を受けた。
小休所と昼休所
その慈眼寺は、1649年の徳川家綱の日光社参までは将軍の小休所とされていて、1728年の8代将軍吉宗の日光社参以降は昼休所となった。
慈眼寺境内には御成御殿が建てられていた。
<現在の状況>
慈眼寺は立派なお寺である。慈眼寺の本堂南側に御成御殿があったとされ、遺構と断定はできないが、凹凸が見られる。
<あわせて読みたいページ>
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「歴史を知る看板文字」ブログ「九鬼の響き」、「慈眼寺御成御殿」の記事。
<下野市の城一覧>
慈眼寺御成御殿の地図→